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昭和三三年の学習指導要領(試案)一般編
ほんとうの学習は,すらすら学ぶことのできるように,こしらえあげた事を記憶するようなことからは生まれて来ない。
ジョン・デューイ
旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師、教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。(中略)いまやわれわれの教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移されたときと同様の変革であり革命である。 このたびは子どもが太陽となり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転する。子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々のいとなみが組織される
芥川龍之介
文芸家たらんとする中学生は、須らく数学を学ぶこと勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ
上田薫
理解は、それぞれの人間特有の過程をへて個性的に成立する。そういうあたりまえのことが、なぜ無視され、忘れられていたのであろう
吉沢教授(斎藤喜博の島小学校の参観者)
教育の仕事は創造なのです。創造的なよい仕事をするためには、教師に自由がなくてはいけない
https://www.manabinomirailab.com/post/%E5%89%B5%E9%80%A0%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%82%88%E3%81%84%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%81%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AB%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84
フロイデンタール
我々は、「クラス」を教える。それでは、なぜ「クラス」が学ぶことを求めないのか。人生は協同 (cooperation) である。なぜ、試験は個人の出来栄えだけを問題とし、共同体としての出来を無視するのか
子どもが自分で発見できるような秘密を、すべて教師が話してしまうことは、悪い教え方というよりむしろ罪悪である
パウロ・フレイレ
教師が一方的に話すと、生徒はただ教師が話す内容を機械的に覚えるというだけになる。 生徒をただの「容れ物」にしてしまい、教師は「容れ物を一杯にする」ということが仕事になる。「容れ物」にたくさん容れられるほどよい教師、というわけだ
東井義雄
私たちは、頭のどこかでは『自発性の原理』を考えている。口でもそれをいう。しかし、実践を実際に支配し、行動を現実に支えているものは、案外、古い教育観であり、古い授業観なのではないだろうか
授業は、授業からはじまっては授業にならない
林竹二
子どもが自分の手で何かをとらえ、自分の目で何かをたしかに見るということがなければならないのです。子どものそういう仕事を助けることが授業のなかでの教師の仕事なんです。
どの子供にも不断に成長するように学ぶ力が備わっている。それだからこそ教師の努力は報いられるのである
一定の教えるべきことを決めて、これだけはどうしても教えろと指示してみても、授業が学習の場にならないかぎり、教えるということは成り立たないのです。
授業とは、子どもたちが、自分たちだけでは、決して到達できない高みにまで、自分の手や足をつかってよじのぼってゆくのを助ける仕事である