授業は、今日の子供が昨日までの子供よりよく変わることを、そして、明日の子供が今日の子供よりよく変わることを願って進められる。授業の工夫もそのために進められる。論理的に言えば、そこでは当然のように子供の変わる姿や変わった姿を見届けながら進むということになるはずである。しかし、そこではそれについてのほんのわずかの手応えを頼りにしながら進んでいくしかないのが実際なのである。