もしも子どもたちが身につける知識・技術を政府が定めるということになれば、当然に、子どもというものは、自分が何を学ぶかかを自分で探すことのできない、そして、どこかで誰かに定めてもらうのを黙って学ぶ以外にない可哀想な生きものだということになります。