教師の働きかけが、子どもたちの身にかかり、微笑したり、うなずいたり、応答してくれたときにのみ、教師としての存在感が生じ、居場所をうるのである。 そういう意味で、教師と子どもとの関係は、教えるもの(主体)と教えられるもの(客体)という関係ではなくて、相互主体的な応答関係なのであり、それ以外の何ものでもないし、またあってはならないのである。