私が本書と出会ったのは、2000年頃です。当時、中野重人先生、嶋野道弘先生が主宰されている生活科の研究会に参加していました。そこに講師としていらっしゃったのが平野先生でした。お話しには、とても学ぶことがおおくありました。
本書を出版していた学芸図書が会社を清算されると聞いたとき、本書が絶版になるのはあまりにももったいないと考え、学芸図書(社長さんとは懇意にしていただいていました)に相談して、東洋館出版社に版権を移譲していただきました。
そういうこともあり、非常に思い入れのある書籍です。
子どもの事実に立つ授業
教育研究、授業研究では「子どもの事実」は、誰もが重要だと考えるでしょう。私もそうだと考えていましたが、平野先生のそれは、私の考えを越えていました(pp.28-29)。
平野先生は、教え子から、ある子どもが文学作品のおもしろさを感じていないことについての援助をどうすればよいかと相談を受けたとき、
「おもしろいと感じなければいけませんか」
と問い返します。
私にとって、この問い返しが衝撃的でした。
私も児童中心主義的な立場をとっているつもりでしたが、同じ相談を若い学生から受けたら、おそらく学生と一緒に「どうすればおもしろさをわかってもらえるか」を考えたと思います。他の多くの教師もそうではないでしょうか。でも、そうではなかったのです。
そして平野先生は、次のように述べます。
「(おもしろいと感じるという)『あるべきこと』に近い、あるいはその方向に向かう意見や考えは認められ、促進されるが、それからはずれたものは、無視されたり、否定されたりすることになる。
おもしろいという前提に立って授業が展開された場合、おもしろくないと思った子どもにとってその授業はどのような意味をもつのだろうか」
と疑問を呈します(括弧内は評者補足)。
さらに、
「『はじめに子どもありき』という立場に立つならば、おもしろくないというその子どもの思った事実から出発することになる。」
と述べ、それから具体的な対応を検討していきます。
これが、本書の最も重要なポイントではないでしょうか。
「授業というのは、この私が目の前の子どもとともに創っていくものである」
と平野先生は本書の冒頭で述べられます。
ところが現場を見ると、教師だけが教育技術を磨き、そして「うまい授業ができた」と思っている教師が多くいます。
「子どもにこれができるようにさせたい」と、一生懸命に子どもを引っ張ろうとする教師もいます。
それも教師の熱意の表れでもありますが、私にとっては、子どもを置き去りにしているようにも感じられます。
平野先生は、まず子どもを「能動的学習者」とみる子ども観に立ちます。そして学習を「学んだ者の筋道」ではなく、これから「学ぶ者の筋道」にしなければならないと説きます。それはいずれも、授業を子どもとともに創っていくことに必要なことです。
本書では、こうした「はじめに子どもありき」の授業観に基づいた、教育実践をわかりやすく解説していきます。
実は、初出が看護師養成のための雑誌ですので、そのための表現も随所に見られますが、すべての教師にとって「教育実践の基本」ともなるものです。
編集者的Point
本書のタイトル「はじめに子どもありき」が秀逸です。
それまでも、多くの人が児童中心の立場で発信していました。東井義雄もそれを「子どもから」と表現しています。
この「はじめに子どもありき」は、それまでの表現では説明し切れていなかったモヤモヤとしたものに明確に言葉を与えたように思います。
このタイトルだけで、多くの人が分かったつもりになってしまったのではないでしょうか。それぐらいのインパクトはあります。
今は、例えばアスリートファースト(はじめに選手ありき)のような表現も浸透してきています。その先鞭をつけたというわけではありませんが、この表現を教育界に投げた功績は、非常に大きいものだと思います。
※個人的な補足
私が書籍を出したのも、平野先生をはじめとする先人達の授業観、教育観、子ども観を伝えたいと考えたからです。
私の単著『よい授業とは何か』を出したとき、平野先生から過分なご評価をいただきました。もちろんお世辞もあるかと思いますが、尊敬する先生からお褒めいただいたことは望外の喜びでした。
学芸図書、1994年
(本書は、2017年3月に東洋館出版社から復刊されています。カバー写真は東洋館出版社のものです。)
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