原題はLes heritiers、サブタイトルの「受け継ぐ者たちへ」の意味のようです。
舞台はフランスの高校。校則が厳しいようで、冒頭でそれを強調するような出来事が描かれます。
その高校の、民族、宗教等が多様な生徒が在籍するクラスが舞台です。
数学の授業中に寝ていてチョークを投げられる生徒、マニキュアを塗っていて「しまいなさい」と注意されても「乾いていない」と笑って答える生徒、そんなクラスです。
20点満点のテストで27人中16人が5点以下という成績です。
まずは典型的なダメダメクラスとして描かれます。
それぞれの生徒の家庭も描かれているのを見ると、それも「格差」の犠牲とも思えるものです。
担任は女性教師のアンヌ・ゲゲン。
自己紹介では
「教員歴は20年 教えることが大好きで 退屈な授業はしないつもり」
と言います。
授業を見てると、スライドを映して、教師の発問と生徒の応答で進められます。発問も、正答を求めると言うより、考えさせるところもあり、画面に映る生徒の目には真剣さも見て取れます。そこを見ると、オーソドックスで教師主導の授業ですが、まあよい授業とも言える部分はあります。
このクラスの生徒は、他の教師からは見捨てられていきます。
担任のゲゲンは、何とかしようとクラス全員での歴史研究のコンクールに出ようと提案します。
これ以上はネタバレになりますので割愛しますが、このコンクールに出るための「探究学習」が生徒を一気に成長させます。
まさに主体的で対話的で深い学びがここにはあります。
「探究学習」に懐疑的な人は、ぜひ見るべきです。
とてもよい映画でした。
この映画を見たあとに、ネットで解説を読んで驚くことがありました。
それは、このクラスで実際に学んだ生徒がシナリオを書いて、映画監督に持ち込み、実現したというのです。この映画が実話をもとにしたことは知っていましたが、生徒が動いて、さらに、その生徒も実際に映画に俳優として出演し、映画賞の男優賞にもノミネートされたそうです。
これも生徒の成長、学びの成果ではないでしょうか。
最後のテロップで、この生徒たちのその後が軽く触れられます。
そこに、変化と成長があります。
それには、この「探究学習」から生まれた自信と学習への意欲が、あったのでしょう。
編集者的Point
映画の製作は門外漢ですので、教育書の編集者としてのこの映画の印象です。
この映画では、多くの場面で、カメラが「生徒の眼差し」に向けられています。
それを見ていて、教育哲学者の林竹二は、次の言葉を思い出します。
「授業を見るには、子どもを見ていなければならないのです。(中略)子どもの深い学習のためには、子どもの授業への深い参加がなければならない。そして、授業を通じて、子どものなかで何かがかわってくるという事実がなければならない。(中略)子どものそういう仕事を助けることが授業のなかでの教師の仕事なんです。」
(林竹二『教えるということ』国土社、1990年)
「生徒の眼差し」を見ていると、生徒の授業や学習への深い参加、何かがかわってくるという事実を感じます。映画なので、もちろん演技でしょう。それがわかった上でも、生徒の深い参加と成長を感じる「眼差し」でした。
自分の実践を本にしたいと考えている教師は、たくさんいます。
しかし、「先生の実践を映画にしたい」と生徒に考えさせるようなことは、日本にあったのでしょうか。
それを考えさせられました。
2014年、フランス
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