”この子らの存在の意義”を口にすること自体、不遜なことで、人間として言うべきことではないと、私は思います。意義があろうと、なかろうと、そういう子らが現に生きている。厳然としてその事実があるのです。その子らと一緒に生きて行こう――これが私どものあるべき姿ではないか。つまり”そのこと自体がわれわれの幸である”のです。※この子ら:知的障害のある子ども